1986年に25歳で白血病に罹患したAYAがんレジェンド(笑)です。その後、大腸がん、子宮頸がん、肺腺がん、神経難病、リウマチを経験していますが、仕事もボランティア活動も、旅行も、バリバリに、元気です。あっ、ちょっとですが、主婦業もしています。
白血病になってから、ドナーが見つからない苦しさからの骨髄バンク運動を、不妊になってしまった苦しさからの妊孕性温存の活動を、それぞれ長く続けてきました。そして、最近では、病室にWi-Fiが整備されていないことに声をあげています。それらは、すべて【AYAがんの患者さんに楽しく生きてほしい】という願いからでした。
しかし、2019年に真逆の経験をしました。4歳双子のママであった32歳の姪が、スキルス胃がんになり、在宅ターミナルケアを希望しました。AYA世代が在宅でターミナルケアを受けるための国の支援がすっぽり抜けていることを知り、びっくりしました。たまたま、姪は横浜在住でしたからその支援を受けることができ、天国に旅立つその日までの3か月を家で子供たちと楽しく過ごすことができました。あっ、これも、【AYAがん患者さんに楽しく生きてほしい】という願いでは同じですね。そして、同時に親ががんになるという経験を持つ幼い子の支援にも取り組んでいます。
AYAがんはライフスタイルが目まぐるしく変わる世代のがんだからこそ、様々な支援が必要です。人生の折り返し地点まで生き延びたAYAがんサバイバーができる活動をこれからも続けていきたいと思っています。大谷貴子