VOICE

AYAメイトからのメッセージ

AYAメイトって?

AYA世代のがんの啓発サポーターを、「AYAメイト」と呼んでいます。

AYAメイトは、職業も、年齢も、国籍も、性別も、関係なく
さまざまな立場の人たちがいます。関わり方も、ひとそれぞれ。

まずは知ること。そのアクションを起こしたら、あなたもAYAメイトの一員です。

知ろう、一緒に。

鈴木 敬浩

鈴木 敬浩

  • スポーツ
  • ダーツ
  • 舌がん
  • 白血病
  • 骨肉腫
  • 笑顔

2人に1人は「がん」になると言われておりますが、
自分がなると想像しながら生きている人はいないと思います。
しかし、「がん」は突然、自分の身や近しい人に発生し、若い世代でも発生してしまいます。

私は若くして「がん」を発症してしまいましたが、
その時は自分の将来がどうなるのか、また今後どのような治療が待ち受けているのか
などがわからずに不安で不安でたまりませんでした。

今回のAYA weekで「がん」というのはどういうものなのか、
「がん」になっても普通に働き、元気に毎日過ごすことができるということを
知ってほしいなと思います。

とじる
橋本 明佳

橋本 明佳

  • 学生
  • 栄養学
  • お菓子が大好き

今までAYA世代のがんについて知りませんでしたが、大学研究室を通じてこの活動に参加するようになりました。私が「がん」の存在を意識したのは、高校2年生で父が胃癌になったときでした。当時反抗期だった私は父になんと声をかけていいのか接し方が分からず、父がいなくなってしまうのではないかと、不安を感じた事を覚えています。自分と同世代のAYAがん患者の方の支援を考える本団体には、AYAがん患者の方やご家族、医療者、研究者、企業の方、一般の方など様々なバックグラウンドを持つ人たちがいます。環境や立場の違う方々とがんについて考える中で、自分と同世代のAYAがんのことにも目を向けて、抱えている問題をできるだけ多くの方々へ知っていただき、一緒に考える機会をつくることを通して支援ができるのではないか、と思うようになりました。

来年3月のAYA weekでは、大学での学び「食物」を生かした学生企画を準備しています。様々な方と連携協力をしながら今回の企画を考えました。境遇の違う人とコミュニケーションを取る事で刺激を受けたり、純粋に楽しく、自分だけでなく家族や友達など大切な人の為に食生活を考える会にしたい、大学生として少しでも力になれることはないかと考えています。

今回は日本女子大学と石川県立看護大学の方々とも連携して石川県の金沢の食材なども紹介する予定です。

是非、観に来てください。

とじる
加藤 那津

加藤 那津

若年がんサバイバー&ケアギバー集いの場 くまの間

  • 患者現在進行形
  • くま好き
  • 屋久島中毒
  • 旅人

私はAYA世代で乳がんの告知を受け、その後再発や転移を経験し今はステージ4でがん治療をしながら暮らしています。

私自身が最初に乳がんを告知された時、再発した時、まだAYAという言葉を耳にすることはありませんでした。周りにはAYA世代の仲間がおらず孤独でした。だから、その後AYA世代の患者会を立ち上げました。やっとAYA世代の仲間に出会えました。一人じゃないって思えてとても嬉しかったです。それからAYA世代の患者さんたちが「一人じゃない」と思ってもらえるよう活動を続けています。

ただ、活動を続けていくうちにステージ4になり気付いたことがあります。それはAYA世代でも取り残されている人たちがいること。AYA世代で注目されるのは治った人、治っていく人ばかりです。治った先の未来について、将来について話されることが多いです。でもいわゆる治らないステージ4の人たちは注目されることもなく、取り残されている存在だと感じます。だから、私は取り残される存在のAYA世代ステージ4の患者さんたちが孤独にならないための活動を続けていきたいと思っています。皆さんも忘れられがちなAYA世代ステージ4の患者さんに目を向けてください。

とじる
多田 雄真

多田 雄真

  • 医師
  • 自然・歴史旅
  • 料理
  • AYA世代サポートチーム
  • デジモノ好き

私は大阪でがん治療医 (血液内科・造血幹細胞移植) として働きながら、
AYA世代サポートチームとしても院内や地域で活動しています。

同じAYA世代の医療従事者として、主治医と違う角度から治療や暮らしに
寄り添い、少しでも治療に専念できるような環境づくりができるよう
日々取り組んでいます。

AYA世代は仕事もプライベートも過渡期にあると感じます。
同世代でがんを罹患している患者さんは、学業や仕事の続け方、
妊娠や出産に対する選択など様々な苦労を経験されています。
私がAYA世代支援で心掛けていることは“つなぐ”ことです。

AYA世代ならではの課題に対して、
社会保障制度や妊孕性温存、ピアサポートなどの情報をつなぐこと。
そして患者さんと主治医・看護師の間だけでなく、ご家族、がん治療医と
がん生殖医療医、時には医療機関や地域の行政、支援団体など、
人や場所をつないでいくことが非常に重要だと考えています。

AYA week 2021がAYA世代のがん経験者や医療従事者だけでなく、
がんと接点のなかった皆さんもAYA世代のがんについて
知って、色々な情報や人とつながるいい機会になればと考えます。

いろいろなイベントに参加させていただいていますので、
ぜひみなさんも積極的にご参加いただければ幸いです。

とじる
井上 裕香子

井上 裕香子

若年性乳がん体験者のための患者支援団体
Pink Ring西日本branch 代表

  • 患者
  • 乳がん
  • 茶道
  • バイク乗り
  • フラワーアレンジメント
  • 万年ダイエッター

自分の経験をふりかえってみると、がんと告知されてから早い段階でAYA世代のがん経験者に出会えたことが大きかったと思います。

私の家族もがんを経験していて、それでもみんな元気に暮らしている姿を見ていましたがいざ自分が診断をされた時には「これからどうなるんだろう…」と自分が思っていた以上に落ち込みました。

診断後の葛藤のなか、現在所属しているPink Ringのイベントに参加しました。そこで出会ったAYA世代のがん経験者の方々が、当時私が抱いていた「がん患者」のイメージと対極にいて。「人のために、この経験を生かそう」というエネルギーに衝撃を受けたのをおぼえています。彼女たちを通じて私も、がんになっても終わりじゃないと知ることができ「今この経験が誰かの役に立つ日が来るかもしれない」と自分の治療に対する考え方や、現在の活動につながる転機となりました。

自分もそうでしたが治療中、身体的な不安は伝えることができても、メンタルの部分は「言っていいのかな…」と不必要に我慢をしてしまうことがあります。仕事や、家庭、そして出産(妊よう性)などAYA世代には、その世代ならではの問題や不安がある時期です。治療についてだけでなく、不安な気持ちは発信していいと思いますし、医療者の方たちからも「心の方は大丈夫?」と声をかけていただければと思います。

がんは宣告されてから、生活や価値観をいきなり変えることができるわけではなくて治療や暮らしを進める中で、不随して目を向ける物事が増えていくのだと思います。その際に、いろんな選択肢や可能性があると知る事がとても大事だと思います。もちろん自分だけで全てを調べるのではなく、治療に関しては特に医療者や専門の団体を頼りながら、ネットの噂や不確かな情報に惑わされずに正しい情報にたどり着いていくこと。私たちPink Ringはそのサポートもしていきたいと考えています。

宣告直後は、がんを受け止めるだけでも難しいですよね。私もそうでした。でも治療や暮らしにおいて本当は自分のオプションとして選択できたのに、「知らなかった」からやらなかった、とならないためにもまずは、知る心づもりだけでもしておくといいのかな、と思います。

そして何より、あなたは1人じゃないと言うことを知ってほしいです。がんではない同世代が多い中で、孤独を感じることがあるかもしれません。でも世の中にはご自身が思っている以上に、いろんなサポーターがいます。AYA weekをはじめとして様々な情報や、人たちとご自分のためにも、どうかつながってほしいと思います。

とじる
小林 千夏

小林 千夏

  • 小児がん
  • 白血病
  • 旅行
  • 美味しいご飯

中学生の時に白血病になり約1年間の入院生活を送りました。その後も何度か移植の合併症などで入退院を繰り返しましたが、大変ありがたいことに現在は毎日仕事をしたり、大好きな綺麗な海へ旅をしたり、美味しいものに出会ったりと元気に過ごすことができています。

これまで、自分の経験や、治療を終えたからこその悩みを誰かと共有したいことがあっても、サバイバー同士でないとうまく話せないことがたくさんありました。私自身初めて患者会に参加したのは23歳の時でしたが,同時期に入院した友人以外にも自分達の仲間がいたことにとても安心したことを覚えています。

個人的に,知識は自分を守る盾になると考えています。直接お互いの顔は見えなくても,みんなと一緒に知ることで自分の武器や人とのつながりを増やして欲しいと思います。私も一緒に学んでいきたいと思います。

闘病生活を終えてから数年経った時に,両親や弟から自分の入院中の話を聞く機会が増加していきました。私には見せない中で両親が日々涙していたことや,弟も幼い年齢だった関わらず1人で夜寂しい時間を過ごしていたようでした。自分の闘病生活の中で私自身をケアしてくれるスタッフはたくさん周りにいたけれど,両親や弟のケアは誰がしてくれたのだろうと考え始めました。患者さんだけでなく,第2の患者と呼ばれる家族支援も行える医療者になりたいと考え,臨床心理士の資格取得を目指し,現在はがん相談員として仕事をしています。

自分の経験も踏まえて、AYA世代の方たちへ「皆1人じゃない,1人で抱えないで。」という言葉を届けたいと思います。がんと関わりのないAYA世代の人たちにとっても,AYA weekなどのイベントががんを知るきっかけになればいいなと思います。

正直,しっかりと目標を持ってやっているかと言われると非常に自信がないところですが,患者さんやご家族がそれぞれの悩みや課題について1人で抱え込むことなく,正しい情報や支援場所につなぎ,一緒に寄り添いながら歩んでいけるといいなと思っております。

とじる
塚本 泰史

塚本 泰史

大宮アルディージャ クラブアンバサダー

  • サッカー
  • 大宮アルディージャ
  • クラブアンバサダー
  • 夢は叶う
  • 努力
  • 泰然自若

僕は小さい頃からサッカーとともに暮らしてきました。小中高とサッカー中心の生活を過ごし、大学4年生の頃、複数チームのオファーの中から、スカウトの方の熱意と自分の地元のチームということで大宮アルディージャへの入団を決意し、夢であったサッカー選手になりました。

1、2年目は自分の納得のいくプレーができず、3年目はいよいよ勝負の年だ!と位置づけていた当時のことでした。シーズン開始前、全選手が受けるメディカルチェックで数年前から痛みがあった膝の相談をしMRIを受けました。最初は8割、9割骨髄炎だろう、と言われていたのですが、結果は「骨肉腫」。聞いたときは「え、嘘でしょ?」と頭が真っ白に。

さらにはドクターから「手術で人工関節にするしかないので、サッカーはできない」と言われて。24歳、夢であったサッカー選手になれてこれからだ、という時に命をとられたような気持ちでした。

いろんな病院や先生に問い合わせても、「早く手術を受けなさい」としか返ってこず子供のように泣いたことを覚えています。

自分にとって命であるサッカーをこのまま続けることと、治療や手術を受け病気を直すことを天秤にかけたとき、大きな葛藤はありましたが、家族の「泰史には生きていて欲しい」という言葉が後押しとなって手術を決意しました。

当時、自分が調べた中では骨肉腫になって、スポーツ続けたり、サッカーをする人がいなかったんです。でも、本当にそうなのかな?と。だったら自分がはじめての人になりたいと思って。

それからは、再びピッチに戻ること目標にまずは大好きなラーメンやカツカレーを食べたい!と日常の暮らしをひとつづつ叶えることを目標に治療に専念をしました。

病気や進行状況によって一概には言えないんですが、僕は治療中にネガティブなことはあまり考えなかったんです。

もちろん辛くて、1人になると落ち込むこともあったんですが病気になってしまったことはしょうがないことで、誰のせいでもない。

辛い治療を経験するなら、ネガティブなことを考えてさらに自分を傷つけるよりポジティブなことを考えた方がいいと思っていて。

そして病気になった意味というのは必ずあると思っています。車椅子の移動が大変なことに気づけたり、今までの暮らしを振り返って感謝をしたり、そして、家族や身内の存在に心から救われたり。

病気はいつ、誰がなるかわかりません。当時は、まさか自分ががんになるなんて思ってもいませんでしたが、病気を経験してから患者さんたちと出会う機会が増えて、「世の中にはこれだけたくさんの人が、がんを経験しているんだな」と知ることができました。

誰かの存在や出会いが新しい気づきや発見につながるように、僕がチャレンジすることによって、同じ病気にかかった人が「あ、なんだ運動できるじゃん。」「サッカーできるじゃん」と思ってもらえたり僕の行動で何かを感じてもらえる人が1人でもいたら嬉しいです。

AYA世代の若い人たちへは、改めて世の中にがんを経験している人たちが自分が思っている以上にいるということに気付いて欲しいです。そして1日1日を大切に、一生懸命生きろよ、と心から願っています。

とじる
平山 貴敏

平山 貴敏

  • 医師
  • こころのケア
  • 韓流ドラマ
  • 皇居ラン
  • 焼肉

私は東京で精神腫瘍科(がん患者さんのこころのケア専門)の医師として働いています。院内のAYAサポートチームの一員として、AYA世代のがん患者さんの心理社会的支援やピアサポートの場の運営に携わっています。

AYA世代のがん患者さんはライフイベントの多い大切な時期に「これまでの日常」と「がんと付き合うこと」を両立しながら主体的に日々を過ごされていると感じています。医療者として「がんと付き合うこと」の支援はもちろん、AYA世代の大切な日常が守られるよう支援することを心がけています。

がん患者さんが困難な状況であっても自分らしく過ごされている姿を拝見し、私自身が日々勇気づけられています。私は患者さんから「一日一日を大切に過ごすことの大切さ」を教わり、日々の出会いに感謝するようになりました。

がんと診断されて不安を抱いている方には「一人で悩まないで」というメッセージを伝えたいです。一人で悩んでいると、不安がどんどん大きくなってしまいます。誰でも構わないので相談しやすい人に話すことが大切です。また、がんに関してより多くの方に「正しく」知ってもらい、誤解や偏見のない誰もが過ごしやすい社会になればと願っています。

私もAYA世代の一人として、今後も院内のAYAサポートチームやピアサポートを中心に活動を続けながら、病院という場にとらわれず広くAYA世代のがん患者さんの支援に関わっていきたいです。皆さんと一緒に手を取り合って歩んでいければと思います。

とじる
友寄 蓮

友寄 蓮

女優・タレント 彩の国けんけつ大使

  • 元患者
  • モデル
  • けんけつ大使
  • 小金井市
  • うさぎ飼い
  • 喫茶店巡り
  • 韓流アイドル好き
  • 和食器好き

私はもともとは引っ込み思案な性格だったのですが、中学のとき(半ば強制的に)入部した演劇部にてお芝居の魅力に気づき、「大好きな芸能人に会えるかも!」というピュアな想いから(笑)本格的に芸能活動の道に進みました。毎日レッスンで忙しくも充実した生活を過ごす中で、高校2年生、16歳の時に「急性リンパ性白血病」と診断され、1年4ヶ月の闘病生活を経験しました。

当時、自分と同年代の患者さんの経験談もあまりなくて、さらに世の中では白血病の主人公が登場する映画がとても流行っていて、「私もこうなってしまうのかな…」と不安に駆られたのを覚えています。

高校生だった私は、不安な気持ちを「きっとわかってくれないだろうな」とふさいでしまっていたこともありました。

自分の経験を踏まえて、私は、「アクションあってのリアクション」だと思うようになりました。今自分が抱えている不安や疑問は、まずは伝えてみる。世間はそれほど冷たくないし、自分が開いてみることで相手も答えてくれる。伝わらない人は、いずれにせよ自分と今後長く関わらないだろう!という割り切りも時には必要で。

がんを経験した人によくある話なのですが、治療中の辛かった時期と今を比べて「まだ大丈夫」と今の自分のSOSを無視してしまうことがあります。今、自分が何に悩んでいるのか耳を傾ける事、そして1人で抱え込まず伝えることで周りの方へのうまい頼り方を見つけていくことが大切です。

周りの方も「大丈夫?」と聞いてしまうと、人は反射的に「大丈夫!」と答えてしまうので「何に困っている?」と声の掛け方を変えていくのもいいかもしれません。がんだからと身構える必要はなくて、笑いあったり、話を聞いたりその人らしい支え方があると思います。

そして、がんを知ると言うことは、相手のことを知ることだと思います。がんってこれが正解ということはなくて、治療や暮らし方は本当に人それぞれです。特にAYA世代は、学業、妊娠、仕事、家庭など大切な事柄が多い世代で、悩みの種類も治療中から形を変えていきます。当事者の方の悩みを完璧に解消することは非常に難しいのですがヒントだったり、新しい気付きというのは必ず、人の話の中にあると思っています。

今まで私は自分の体験談をお伝えしてきたのですが、これからは経験者の方のストーリーや医学的な観点を通じて当事者の方に言葉をかけられるよう、AYA世代の方のピアサポーターを目指して勉強中です。AYA week 2021を通じて、みなさんも様々なストーリーに触れてみてください。

とじる
浦尻 一乃

浦尻 一乃

  • 小児がんサバイバー
  • 大学生
  • 臨床検査学科生
  • 韓国ドラマ
  • カメラ

五歳の時に小児がんである神経芽腫を発症し、1年半弱入院をし、小学校の入学式数か月前退院しました。そして、10歳のとき再発をし、放射線治療やMIBG治療などを得て高校生の時治療を終えてから丸5年が経ちました。
2020年度大学受験をして臨床検査学科のある大学に入学し、現在に至ります。今は新型コロナウイルスが流行しており活動できていませんが中学生のころからサバイバー活動としてレモネードスタンドを行ったりしています。AYA世代のがんに意識を向けるようになった理由はサバイバー活動の中で多くのがん経験者の方との出会いや、自分が20歳に近づいていく中で考える機会が増えたことです。最近は、一人暮らしを人生で初めて経験し、韓国ドラマを見ることが趣味になりました。

自分がAYA世代になり、小児でもなく大人でもない狭間の中で今までは、長い間小児病院に通院していましたが成人病院への移行をしなければならず、一からどの病院が良いのか、いつから成人病院へ移行すればよいのか、など多くの課題が出てきてとても戸惑っています。また、小児慢性特定疾病の医療費助成制度が20歳までなので、20歳以降MRI検査やレントゲン、血液検査などすべてのお金がかかるようになります。よって、これまでのように頻繁には検査はしづらいですし、この生活が今後何十年も続いてくのだなと思うとたまに重荷に感じてしまいます。
これから社会に出る私たちが、働くようになってから定期外来や検査入院の際に早退したり、休みを頂きたいときにすんなり受け入れてもらえるようAYA世代のがんについての知識を広めていきたいと思っています。

私は高校生の時に最後の治療から5年経過したということで、安心していたものの最近になって晩期合併症の症状が出てきたりと、がんサバイバーは一生病気と付き合っていかなければならないんだなと改めて痛感するようになりました。
治療を幼いころに終わっていても成長した後治療の影響が出てくることもあると気づきました。これから先、社会に出て生きづらいこともあると思います。でもそういった世の中が変わればいいなと思いサバイバー活動を始めました。なので、私はこれからも微力ながら啓発活動など続けていこうと思います。

私は大学の臨床検査学科に通っています。
今の目標は大学を卒業することです。正直私は中学、高校、大学生になれるとは思っていませんでした。だからこれからも一日一日を勉強したり、友達と会ったり、ドライブしたりして過ごすことが夢です。欲を言えばこのまま何事もなく、過ごして臨床検査技師になって小児がん治療に携われたらいいなと思っています。

とじる

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