僕は小さい頃からサッカーとともに暮らしてきました。小中高とサッカー中心の生活を過ごし、大学4年生の頃、複数チームのオファーの中から、スカウトの方の熱意と自分の地元のチームということで大宮アルディージャへの入団を決意し、夢であったサッカー選手になりました。
1、2年目は自分の納得のいくプレーができず、3年目はいよいよ勝負の年だ!と位置づけていた当時のことでした。シーズン開始前、全選手が受けるメディカルチェックで数年前から痛みがあった膝の相談をしMRIを受けました。最初は8割、9割骨髄炎だろう、と言われていたのですが、結果は「骨肉腫」。聞いたときは「え、嘘でしょ?」と頭が真っ白に。
さらにはドクターから「手術で人工関節にするしかないので、サッカーはできない」と言われて。24歳、夢であったサッカー選手になれてこれからだ、という時に命をとられたような気持ちでした。
いろんな病院や先生に問い合わせても、「早く手術を受けなさい」としか返ってこず子供のように泣いたことを覚えています。
自分にとって命であるサッカーをこのまま続けることと、治療や手術を受け病気を直すことを天秤にかけたとき、大きな葛藤はありましたが、家族の「泰史には生きていて欲しい」という言葉が後押しとなって手術を決意しました。
当時、自分が調べた中では骨肉腫になって、スポーツ続けたり、サッカーをする人がいなかったんです。でも、本当にそうなのかな?と。だったら自分がはじめての人になりたいと思って。
それからは、再びピッチに戻ること目標にまずは大好きなラーメンやカツカレーを食べたい!と日常の暮らしをひとつづつ叶えることを目標に治療に専念をしました。
病気や進行状況によって一概には言えないんですが、僕は治療中にネガティブなことはあまり考えなかったんです。
もちろん辛くて、1人になると落ち込むこともあったんですが病気になってしまったことはしょうがないことで、誰のせいでもない。
辛い治療を経験するなら、ネガティブなことを考えてさらに自分を傷つけるよりポジティブなことを考えた方がいいと思っていて。
そして病気になった意味というのは必ずあると思っています。車椅子の移動が大変なことに気づけたり、今までの暮らしを振り返って感謝をしたり、そして、家族や身内の存在に心から救われたり。
病気はいつ、誰がなるかわかりません。当時は、まさか自分ががんになるなんて思ってもいませんでしたが、病気を経験してから患者さんたちと出会う機会が増えて、「世の中にはこれだけたくさんの人が、がんを経験しているんだな」と知ることができました。
誰かの存在や出会いが新しい気づきや発見につながるように、僕がチャレンジすることによって、同じ病気にかかった人が「あ、なんだ運動できるじゃん。」「サッカーできるじゃん」と思ってもらえたり僕の行動で何かを感じてもらえる人が1人でもいたら嬉しいです。
AYA世代の若い人たちへは、改めて世の中にがんを経験している人たちが自分が思っている以上にいるということに気付いて欲しいです。そして1日1日を大切に、一生懸命生きろよ、と心から願っています。